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小林信彦「週刊文春;本音を申せば#854」

小林信彦さん、50年ほど前に雑誌の編集をやったことがあるという(これは「ヒッチコックマガジン」のこと、ちなみにこの雑誌は私の父親が購読していて、私どもはそれを勝手に読んでいた)その中での中原弓彦氏(当時の編集長)の名を知った(小林信彦氏のこと)

雑誌の中でのジャズ評論を相倉久人氏に頼んでいた。

小林信彦氏はその後その雑誌の出版社(宝石)を退社し、雑誌とは縁がなくなった。

 

20年後、新宿紀伊国屋の喫茶店で、偶然相倉久人氏に会う。小林氏は喫茶店でかかっていた音楽が気になっていたのだが、それが大瀧詠一の「ア・ロング・ヴァケイション」で、大瀧氏のことを小林氏へ教えたのが相倉久人だった。

ちなみに大瀧さんは伊藤銀次氏から小林信彦さんの本の存在を聞いたという。

あくる年(1982年)に小林さんは大瀧さんに自分の本を贈ったそうだ。

そして大瀧さんが返事が来て、大瀧さんは実は以前から小林さんにお目にかかりたかった・・ということ。

その年の9月に、午後3時から夜の11時まで場所を変えて歓談したそうだ。

(大滝さんの年譜による)

1984年単行本「ゴーゴーナイアガラ」のための対談。

弘田三枝子坂本九さんに関する大瀧さんの質問に小林さんが答えている。

このころ小林さんは久々に弘田三枝子さんをTVで見て、ジャズピアニストの山下洋輔さんに会った時に、彼女はうまいなーという話。

山下洋輔さんは前に日野 皓正さんと一緒に弘田三枝子さんのバックをやったことがあるという話。

寅さんをやる前の渥美清さんが弘田三枝子さんの熱心なファンだったという話。

弘田三枝子さんの再評価は大瀧さんのラジオ番組の影響ではないかという話。あと全盛期の植木等さんの話。

相倉久人さんはジョンコルトレーンの来日ライブの司会は相倉久人さんが務めたそうで。

以上は2015年7月に亡くなった相倉久人さんへの追悼話。